お恥ずかしい話をしよう。「私の両親は夫婦仲の悪い両親です!」
私自身が60歳代後半となり、両親はともに90歳を超え、
昨年から徐々に母は介護が必要な状態となってきました。
この春先まで我が家にご飯を食べに来れていたのに、
ここ数日意識レベルの低下など急激な変化があり、
翌日の訪問医師の診断により熱中症ではなかったかとのことでした。
高齢者は、自律神経の機能低下により、気づかぬうちに
熱中症になりやすく意識低下などの症状が怖いそうです。
母は少し回復してきています。
ここから私にできることとして、
週2回ほど夕食を作り、
昼食時には母の食事介助を手伝いに行くこととしました。
接する時間が増えてきたことであらためて感じるのは、
両親の「夫婦仲の悪さ!」
時代がそうだったのか、職人気質と父自身の性格のせいがあるのだろうか、
所謂「亭主関白」、父の場合はこれに形容詞としての”横暴な”がつく。
”父”として私達こどもにとっては、とても優しく子煩悩な人でした。
母は父の仕事を深夜まで手伝い、休みには嫁として畑も手伝い、
早朝から夜中までよく働いた。
夫婦仲の本当のところは実の子供であっても理解はできませんが、
それでも私は幼いながら、母の背中に悲しみを感じていました。
ときに激しく言い争う姿は、
『こんな夫婦にはなりたくない!』象徴のようなものでした。
私は、父も母もそれぞれを好きだったので、とても悲しい思いもしてきました。
それでも歳を重ねて老齢に達してきた両親は、
多少お互いを思いやることばも出るようになってきてはいますが、
「お互いを信頼し、尊敬する」という夫婦の基本が
培われてきていないようで、
お互いの思いやりの言葉もいまさら素直に受け取れない二人。
最期まで人間としての尊厳のある生活を送らせてあげたいと思うのだが、
夫婦してお互いを否定し合っているので、非常に難しさを感じます。
認知症になることは防げないとしても、進行させてしまうのか、
すこしでも遅らせることが可能なのかは、
夫婦の関わり方によるところが大きいのではないかと、
私の中では確信となってきています。
それでも両親にはここからは心穏やかに
「いろんなことがあったけれど、それでも幸せだった」
と感じる時間を少しでも過ごして欲しいと願っています。
そのためには家族の協力は欠かせません。
娘である私達姉妹、そして孫たち、
それぞれが知恵と時間を提供し合って何度も相談を重ねています。
近くに住む孫たち、私にとっては姪たちの成長をあらためて知る機会となり、
彼女たちの成長をたくましく感じました。
みなそれぞれがじいちゃん、ばあちゃんのために一生懸命。
だれにとっても介護は初めてのことであると思いますが、
こんなに大変だとは想像もしていませんでした。
その苦労の内容は家族の環境によって様々であると想像しますが、その話はまた別の機会にしようと思います。
それでも、両親との関わりの中でとても大切なことを学びました。
「心おだやかで温かさと尊厳に満ちた老後を夫と築きあげていきたい」
という私の願望が明確になったこと。
「夫婦としてどうありたいか、私はどう生きていきたいか」を
これまでになく真剣に考えるようになったこと。
身体が思うように動かせなくなってきた際には、
お互いを思いやる心の在りかた次第で、
幸せであると思えるかどうかが決まる!と両親を見ていて感じたのです。
老後はどうありたいかをイメージして
(穏やかでゆっくりとした時間を共に過ごしたい)
それを実現するために今私はどう行動しよう?
そして、夫との関わり方を少し変えてみました。
まずは、選択理論心理学で学んだ「人間関係を築く7つの習慣」のうちのひとつである〝信頼する〟から始めてみています。
今回の介護する際の不安を打ち明けてみました。
いままでは話し合う前に「どうせわかってもらえないだろう」と諦めていたことも多々ありました。
信頼が足りなかったのかも知れません。
話し合っていく中で意見が食い違ったときにも、
(イラッとしたとしても)
彼には彼なりの考えがあるはずだから聞いてみよう!と思えてきています。
決していまがダメな夫婦であるとは言いませんが、
〝さらに、より良い夫婦〟をめざして。
老後はすぐ目と鼻の先ですが、いまここで気づけたことは幸運です。
2024.5.22 by Ryoko