大阪・関西万博2025を終えて
大阪・関西万博2025が幕を閉じました。
思い起こせば、会期終盤の混雑はすごかったですね。
「あと○日」というカウントダウンが始まると来場者は激増。
数時間待ちは当たり前で、“行列”というより、人が“かたまり”となっていました。
それでも、来場者の顔には「やっと来れた」「一度は来たかった」という想いからか、長い列にも負けない笑顔があふれていたのが印象的でした。
きっと誰もが「また今度」は通用せず、「今しかない」と感じていたのでしょう。
終わりが決まっているからこそ、“今”がかけがえのないものになる。
万博は、そんなシンプルな真理を教えてくれた気がします。
私は最終日、終わりを見届けるために再び足を運びました。
そうしないと、「万博が終わった」ということが信じられなかったからです。
閉幕から一週間が経ちましたが、「終わった瞬間にすべてが止まる」わけではありませんでした。
SNSの最後の投稿、グッズ販売の延長、パビリオンの行方など、関連の話題や情報が今も行き交っています。
「終わったね」で終わらない、その存在感が今も残っています。
とはいえ、私たちの日常は確実に戻りました。そして、今は秋の行楽シーズン真っ盛りです。
どこに行っても人が多くても、不思議なことに「万博の混雑に比べたら全然平気」と思えてしまう。
あの行列、熱気、猛暑を思えば、今の状況が“心地よい”とさえ感じられます。
私だけでなく、周りにもそう感じる人が多いようです。
日常に戻ってもなお、あの特別な空気感が残したものは、見えない形で私たちの中に残っているのです。
万博が教えてくれたこと
あの行列や暑さを「どう思い出すか」「どう語るか」。それはすべて自分次第です。
誰かに決められたことではなく、あの時「行こう」と選んだのも、今「行ってよかった」と思うのも、自分の中から生まれる感覚です。
万博は、日々をどう過ごし、何を記憶に残すか、**「どう感じるかを選べる」**という日々の選択のヒントを、私たちにそっと教えてくれていたのかもしれません。
関西在住の私たちと異なり、他地域の方々にとって万博の存在感や距離感は違ったかもしれません。
しかし、今年の半分もの期間、世界最大級のイベントが**「日本で」開催されたこと。
その特別な時間に「自分たちがいた」**こと。
それは、なんとも言えず嬉しく、楽しいものであったと、今年の振り返りの時期を前に改めて感じています。
By K.Kambayashi

