
先日、元同僚の葬儀に参列した。 私が、定年を経て再雇用終了まで務めた職場。
彼は6月が65歳の誕生日だった。
再雇用終了を目の前にして亡くなった。
衝撃を受けると共に、いろいろな思いが頭の中をぐるぐると回る。
一昨年、私の再雇用終了時、ビールグラスを傾けながら、彼が「職場を離れたらどんなことを考えているんかな?
自分もあと数年で終わるから参考にしたいのよね」と言った。
私は、知り合いから「手伝ってほしいことがある」と誘われていたので、「まだ少し頑張る。それが終わったら嫁はんと旅行したり、楽しいことが出来たらいいけどなあ。
でも先立つものがないからなあ」といった会話を交わした。
昨年春にもマラソン大会に参加した市民ランナーの彼が、7月に自らのSNSで「おなかにできものがあるようなので検査のために大きな病院にいく」と発信した。
結果、がんが見つかり即入院。詳しい検査の結果、原発不明がんで手術も出来ない、年末まで持たないだろう、とのこと。ぶっ飛んだ。
これ以降、彼の様子やSNSでの発信に驚くことになる。
受け入れがたい現実に、様々思うことがあるだろう。
入退院を繰り返しながら、腹水を抜き、抗がん剤治療。苦しんだだろう。
なのに発信内容は、静か・・・、穏やか・・・。
退院時、動けるときは奥さんや娘さんと散歩をし、お弁当を作って近所の公園に行く。夕日に感動し、緑に感動し、そして家族への感謝・・・。
不器用で、お世辞にも仕事が出来る人とはいえない彼が、自分の死に向き合って……。 彼は口下手で、何を言いたいのかよくわからんかった。
「だから何が言いたいねん!!」と怒った。
彼は字が苦手で、自分で自分が書いた字が読めないことも多かった。
「書いた本人が読めへん字を、俺が読めるわけないやろ!!」と怒った。
こんなにやさしく「できた人」だったのか・・・!?
お通夜の際、本人が生前に書いていたという『「お別れの会」にお越しの皆さんへ』という手紙を頂いた。こんな手紙を頂いた葬儀は初めてだ。
いろいろな思いと共に、そこにはこう書かれていた。
「なんとか人生を全うできたと思っています。これもひとえに私を支えていただいた、ご親戚・縁者のみなさま、職場・学生時代からの、諸先輩・友人のみなさま、その他、私に影響を与えていただいたすべての方々、何より家族のおかげであると思っています。心から感謝申し上げます」と・・・。
仕事の場面では、効率的に成果を上げることを重視して、モタモタ・モサモサしたことはすぐに「何してんねん!!」となってしまう。
選択理論を学びつつある今、振り返ってみると、いかに「人間関係を破壊する7つの習慣」を使い、「信頼関係を気づく7つの習慣」に書かれていることをまどろっこしいと思っていたか、に気づかされる。
表面的なことにとらわれて、その人をそのまま素直に見ることが出来ていないのだと思う。その人の「上質世界」など考えてもいなかったことに気づかされる。
彼は、再雇用終了後の生き方をどう考えていたのだろう。やりたいこともあったんと違うか? 無念に思うこともあったんと違うか? 本当に“人生を全う出来た”と思っていたのか? すごく穏やかで安らかなお顔で少し安心したけれど。
私は、彼のように、人生を全うした、と言えるだろうか。
そんな生き方をしているだろうか。 彼からすごく大きな課題を投げかけられた。
なんやかんやと理由付けをしてグズグズしていることに手を付ける、思ったことをやってみる、そんな勇気と気力を少しでも奮い立たせたい。
By H.Taniguchi



