予定通りにいかない人生だけれど…
気持ちの良い諦めと、ふと湧いてくる疑問

入院中の91歳の母が、日に日に弱ってきたように感じています。
医師からは「すぐにどうこうという状況ではありませんよ」と説明を受けているものの、どこか心が落ち着きません。
そんな中、今週末に予定していた海外旅行を、思い切ってキャンセルすることにしました。
「せっかく予約したんだから行ってきなよ」と言ってくれる人もいましたが、気持ちがそわそわしたままの旅は、きっと心から楽しめません。
楽しむための旅行なのに、後悔の種を抱えたまま行くのは違う気がしました。
それにしても、人生とは本当に予定通りに進まないものです。
若い頃は「今だけ思い通りにいかないだけ」と思っていましたが、60代後半の今はむしろ、これからもっと予定通りにいかなくなるのでは?とも感じます。
親の体調、自分自身の健康、仕事の責任、人間関係──変化するものばかりで、スケジュール帳も落ち着きません。
でも、キャンセルを決めた以上は気持ちを切り替えることが大切です。
そこで私は、ふと思いました。

「よし、海外はやめたけれど、1〜2日で行ける近場の旅を計画してみよう。
美味しいものを食べに行くのもいいし、温泉でぼーっとするのもいい。
いや、思いきって新しい趣味でも見つけてみようか?」
人生には、いくつになっても小さなワクワクが必要です。
海外旅行を諦めた分、そのワクワクを別のところで取り返せばいい──そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなりました。
とはいえ、両親のことを考えると、どうしても頭の片隅に疑問が浮かびます。
「これまで親孝行してきたつもりだけれど、もし親の死に目に会えなかったら、私は“常識のない娘”ということになるのだろうか?」
昔から「親の死に目に会えないのは親不孝」と言われますが、現代で本当にそんな白黒で決めてしまってよいのでしょうか。
働き、子育てをし、人としての責任を果たしながら、できる限り両親を支えてきたつもりです。
それでも、ふとしたタイミングで何かが起きれば、駆けつけられないことだってあり得ます。
それは責められることなのでしょうか。
そもそも「死に目に会えたかどうか」で親孝行の度合いが決まるとも思えません。
それでも、やっぱり“常識”という言葉が頭をよぎってしまうのです。
むしろ私は、日々の小さな気遣いの積み重ねこそが、親孝行だと信じたいのです。
これからも両親を見守る日々は続きます。

きっと、予定通りにいかないことが増えていくでしょう。
それでも、その時々の自分を楽しませる何かを見つけて、人生を面白がる心は忘れずにいたいと思います。
旅はキャンセルしても、人生の“楽しむ気持ち”はキャンセルしない。
そんなふうに、自分らしく歩いていけたら──そう願っています。
By R.Iwase



