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父の四十九日法要の、まさにその日の朝母逝く 〜両親が残してくれた大切なもの〜


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高齢の父、九十五歳の四十九日の法要。

その明け方に、母は九十一歳で静かに息を引き取りました。

あまりにも劇的な別れに、今でも現実感は薄いままです。


父の法要の二日前、私たち姉妹は母を病院から自宅へ連れ帰りました。

点滴につながれたままの母を病院で見送ることが、どうしても辛かったからです。

「おうちに帰ったよ。嬉しい?」

そう声をかけると、母は声にならない声で、満面の笑みを返してくれました。

その表情は、今もはっきりと心に残っています。


その夜から、母の体調は急に悪くなりました。

父の法要と母の最期が重なる可能性も考え、お寺や医師とも事前に相談し、覚悟と準備はしていました。

それでも、法要から母の葬儀までの日々は、ただただ慌ただしく過ぎていきました。


わずか一か月半ほどの間に、両親を相次いで亡くした寂しさは、まだ実感として湧いていません。

ただ、この寂しさは、きっと時間とともに思い出と一緒に押し寄せてくるのでしょう。その時は姉妹で語り合いながら、少しずつ良い思い出へと変えていきたいと思っています。


このブログを「両親の介護」というタイトルで書き始めて、数か月が経ちました。

介護を通して知ったのは、両親の夫婦関係が、決して穏やかなものではなかったという事実でした。

認知症が進んだ母は、父を責め続けていました。

一方で父は、亡くなる二日前まで自分史を書き続けるほど、心身ともにしっかりしていました。


母は、求めても得られなかった愛に、生涯苦しみ続けたのだと思います。

母の愚痴を聞くたびに、私は「こういう夫婦で終わってはいけない」と強く思うようになりました。「私たちの老後」について、強い危機感を覚えたのです。


私たち夫婦は、長い単身赴任生活の中で、相手を気遣いながらも、本音を話す機会を失っていました。

そんな中で生まれたのが、「離れていても、良い夫婦でいたい」という希望になり、

その時に考えて得られた最善だと思える行動へと駆り立てたのです。


自分の気持ちを、相手を傷つけないように伝え続けましたが、返事はありませんでした。返事のない関係は、人を怒らせ、疲れさせます。それでも「夫はそういう人なのだ」と、諦めかけていた頃、両親の法要と葬儀が重なりました。


そのたびに帰ってきた夫は、少しずつ変わってきていました。

気持ちを言葉で語ることは相変わらずありませんが、行動の理由を言葉で説明してくれるようになったのです。

「言わなくてもわかるのが夫婦だ」と言っていた、あの夫が、です。


以前、夫が勧めてくれた本に「人は、言わなければほとんど伝わらない」と書かれていました。

その言葉をそのまま夫に、「これが私の気持ちです」と、はっきり伝えることができました。


まだぎこちなさはありますが、夫は今も単身赴任先で仕事を続けています。

仕事が生き甲斐なのでしょう。私も同じです。いつか「夫婦以下、友達以上」くらいの、穏やかな関係で共に暮らせる日を目標にしています。

それまでは、私自身の好きなことを続けていくつもりです。


両親とは隣に住み、十分に親孝行ができたと、今は胸を張って見送れたと言えます。

そして、私はあらためて思うのです。

「あなたのせいで、私の人生がうまくいかなかった」と、誰かを責める生き方だけはしない、と。


両親の介護を通して、老後の生き方と夫婦関係の大切さを教えてもらいました。良い機会を残し、天国へ旅立った父と母に、心から感謝しています。


By R.Iwase



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2026年02月03日

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