突然ですが、「Put yourself in someone’s shoes」この英語はなんて訳すかご存じですか?
「自分で誰かの靴を履いてみること」で「他人の立場に立ってみる」「相手の視点から眺めてみる」「相手が感じるように自分も感じてみる」というような意味です
僕はこの言葉に巡り合ったのは浪人時代の英語の授業です。実は英語のテキストはD・カーネギーの「人を動かす」の原書だったのです。この言葉をきっかけに日本語訳の本を買って何回も読んで、そこから、いろんな関連本を読むようになり、現在のベースになる考えや行動パターンが身についたので、僕にとっては忘れられない言葉となっています。
また、実際にその言葉に出会った後しばらくして、たまたま、飲み会の帰り際、自分とよく似た靴しか残っていなく、履いた時の違和感は半端なく、そのこともあって今でも覚えています
それで、この言葉に関する興味深い話を2つ簡単に紹介します。
一つ目はブレイディみかこさんの話
たまたま2年前の今日、NHKのあさイチにブレイディみかこさんが登場して初めて彼女を知ったのですが、2019年に本屋大賞を取りベストセラーとなった『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で注目されるようになったのが「エンパシー」、意見の異なる相手を理解する知的能力です。
息子さんがエンパシーを「他者の靴を履く」力と表現したことも、多くの共感と反響を呼んで、今年の5月にエンパシーをさらに詳しく考察した「他者の靴を履く」も出版されています
二つ目はキューバ危機の話
冷戦の最中の1962年10月、ソ連の支援を受けるキューバでミサイル基地建設が始まった。アメリカ軍部は攻撃を主張するが、平和を願うケネディ大統領は、敵対するソ連の指導者フルシチョフ首相との「対話」の道を探る。
第三次世界大戦の危機を寸前で食い止めた二人の決断を、弟の眼で描いた記録キューバ危機回顧録の中でケネディ大統領が振り返り
「キューバ危機の究極的な教訓は、われわれ自身が他国の靴を履いてみる、つまり相手国の立場になってみることの重要さである」と言っている
現在も様々なところで戦争が起きているが、攻撃を攻撃でかえすより、この気持ちで相手と交渉することが解決につながると強く思うところである。
ということで、「他者の靴を履いてみる」つまり他人の立場に立つことの重要性の話ですが、他者の靴を履くにはまず、自分の靴を脱ぐことが必要だということも忘れてはいけないことだと思います。自分の靴を履いたまま他人の靴を履いては土足で敷居を渡るようなことに…
個人的には相手の立場に立って相手を思いやることと、もう一つ他人から見たら自分はどう映っているかを相手から自分の姿をイメージしてみることも大事だと思っています。できれば第三者として自分を眺めてみるように
他人と自分は基本的には違うのでいろいろな人間関係の場面でイライラ、モヤモヤすることはあるかと思いますが、そんな時は少し間をおいて(深呼吸でもして)そう考えてみるのもお勧めです。
最後に間を取る話(間抜けの話)をします。相手との違いをつい、私は正しく相手は間違っていると無意識に解釈していることがあります。この時は間違いから間を取ってただ“違っている”だけという事実に戻ることもお勧めです
人はそれぞれなので、お互いの共通の価値観を見つけて接するのは良いことだと思うけど、ただどうしても違うことで対立が生まれた時はちょっと間をおいてこれらのことを考えてみてはと思います。
2024.6.22 by M.Tamura